池田大作レイプ事件



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以下、被害者・信平さんの手記より抜粋

 

創価学会が、大沼国定公園(北海道)の中に、総面積2万坪という広大な敷地をもつ「大沼研修道場」を作ったのは、昭和46年のこと。

 そして、池田大作がここに避暑に来るようになったのは、昭和48年6月からでした。

 大沼研修道場の本館での池田の世話は、私が全部やることになっており、それが上からの指示でした。

 本館の三階は桧(ひのき)風呂もある池田の専用施設で、関係者以外、たとえ大幹部であっても立ち入ることができません。昭和48年当時は、私以外、誰も三階に昇ることは許されていませんでした。

当時の写真(池田に向かって左が信平さん。右二つ隣は妻香峰子。)

1回目の暴行

 池田が大沼に初めてやってきた日から三日目、6月27日の夜のことでした。

それから起こる恐怖と屈辱の体験など、察知する由もなく、私は、自分の仕事として、それまでどおり午後9時に、池田の布団を 敷くため三階に上がっていきました。

 すると、初日も二日目もその時間には部屋にいなかった池田が、寝室隣の執務室にいて、何か、書きものをしていたのです。ステテコとクレープのシャツ、という姿でした。

 私は、「失礼します」といって中に入り、邪魔をしてはいけないという思いから、寝室と執務室の間のふすまを閉めようとしました。ところが、池田は、

「そのままでいいよ」

と言うのです。

 私が、池田に背を向ける形でシーツを整えていた時です、池田は、前かがみになった私の背後から、いきなりのしかかってきたのです。アッという間のできごとでした。

 池田は、私を押さえつけたまま、肩の方から手を伸ばし、私のブラウスのえりとスリップのひもを一緒に引っ張りました。

 夏物の薄いブラウスですから、ひとたまりもありません。ボタンがバラバラとちぎれ落ちました。

 スカートもビリビリに破られました。

 池田は、「ハッ、ハッ」と荒い息を吐き掛けながら、

「下着は一枚だね」

と言って、私の下着の中に手を入れてきました。

 ものすごい力で押さえつけられた上に、恐怖で声も出せないでいる私に、池田は後ろからグッと突いてきたのです。あがき、もがいて、抵抗を続けていた私は、目の前が真っ暗になり、うつぶせになったまま、失神してしまいました。

 どれほど時間が経ったでしょうか。気を失った時はうつぶせだったはずなのに、寒さを感じて気がついた時、私は、仰向けで布団の中に寝ていたのです。

 私が這(は)ってドアまで行こうとすると、池田はしつこく追いかけてきました。ドアに頭をぶつけ、心臓はドキドキして、ここで殺されるのではないかと、本当にそう思え、大変な恐怖でした。

 ようやくドアを開けて、二階にかけ降りると、トイレに飛び込みました。激しい吐き気に襲われ、それはしばらく続きました。

 そして、気持ちを鎮め、下腹あたりについている体液を何度も何度も拭きました。皮膚が赤くなっても、なお拭き続けました。



当時の写真(池田に向かって左が信平さん。右二つ隣は妻香峰子。)

昭和49年には、池田に呼ばれて二階に行くと、誰もいない部屋でいきなり抱きつかれ、顔を引き寄せて口を押し付けられました。また、「散策に行こう」と言われ、戸外なら大丈夫だろうと思ってついて行くと、本館の裏につれて行かれ、そこでも同じようなことをされたのです。

 抵抗し、幸いにもそれ以上のことはありませんでしたが――。

 その後も再三にわたって、同じようなことが繰り返されました。

 ちなみに、池田は、体臭がものすごくきついのです。とくに夏場だったせいもあるかもしれませんが、ニンニクが腐ったような臭いとでもいうのでしょうか、それが身体中から発散されていて、たまらない感じでした。

「池田の下半身」

 二回目に私が池田から犯されたのは、昭和58年8月19日のことでした。

 早朝、私はいつもどおりに一人で、大沼研修道場の敷地内にあるプレハブ建ての喫茶「ロアール」の掃除をしていま した。

 大沼の夏は、もやが深く立ち込め、数メートル先も見えなくなります。

 入口を背にして、テーブルを拭いていた私に、いきなり池田が後ろから抱きついてきました。

 池田は、毛むくじゃらの腕で私をはがいじめにし、脚をかけて、私を押し倒しました。

 倒れる瞬間、私はテーブルで左脇のあたりを強く打ちました。また、ブラウスはボロボロに破かれ、スカートも靴下 も無理やり外(はず)されてしまいました。

 のしかかってきた池田を押し退けようとするのですが、脚も腰もオモリを付けたように重く、はねのけることなど、 とてもできないのです。

 池田は、まるで、狙った獲物に向かって一直線に進む、ケダモノそのものでした。

 目的を果たし終えた池田は、外に人の気配を感じたらしく(結局、外には誰もいなかったのですが)、力をゆるめ、 私はようやく解放されました。

 このとき、一瞬ではありましたが、私は初めて池田の裸の下半身を見ました。池田の下半身は異常に毛深く、まるで 黒いパンツでもはいているかのようでした。

トレーナーのズボンをずり上げながら逃げる体制の池田は、私の方を振り向き、

「二号さんの顔を見にきたんだよ」

と、下品に顔を崩して笑いました。その笑いは、本当にこの世のものとも思えない不気味さでした。


大沼研修道場で三回目に私が池田から暴行を受けたのは、平成3年8月17日の早朝でした。

 朝7時半頃、食料の補充をするために、私は、研修道場の敷地の中を歩いていました。

 その朝も、大沼研修道場は深い霧に包まれていました。

 敷地の路上を歩いていた私に、突然、池田が左後方から飛びついてきたのです。私は引き倒され、後ろからすごい力で抑え込まれてしまいました。

 逃げよう、逃げようとするのですが、全体重でのしかかられた上に、押さえ込まれ、地面には掴まるところもなくて、どうすることもできません。声を出そうにも、「アー」とか「ウー」としか出ないのです。

 池田は荒々しく私の衣服をはぎ取り、前の時と同じように「ハッ、ハッ」と息を荒げて、私を犯したのです。衣服はボロボロになりました。

 とにかく、その間も逃げることしか考えなかった私は、無我夢中で池田の手を引っかいたり、かみつき、池田の力が一瞬、ゆるんだすきに、私はようやく身体を引き離すことができました。

 池田は、また、あの不気味な笑いを見せ、霧の中を逃げていきました。

 

以来、このできごとを誰れに話すこともできず、どれだけ思い悩み続けてきたことか――。

 記者会見での信平信子さん

ようやく私は、意を決して、池田の責任を問うために、池田が私にした行為を提訴いたしました。

(→裁判経過報告のページへ)

池田を法廷に引っ張り出すことが、池田大作という人間の真の姿を、だまされている学会員の皆さん、国民 の皆さんに知っていただくことにもつながる、と思っています。

 最後に、池田の習性・性癖を垣い間見た私としては、全国に、私のような被害者が、まだいるはずだ、と 思います。その方達が、真の勇気を持ってくださるよう、期待しております。


記者会見での信平信子さん 

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